横須賀

さて横須賀に来た目的の一つ猿島

曇天の下、私にしては早起きして朝9時半の連絡船に乗って上陸。

一般人には、BBQしたり海水浴したりの島なんだけど、地味に東京湾最大の島だったりする。ただ私にとっては猿島砲台の跡地、あとショッカーの基地w テント張ったガチのレイヤーさんもいたから、そういうクラスタにも需要があるんだろう。

軍事遺構というと、第二次大戦の時のものだと思いがちだけど、猿島のレンガ造りは明治時代のものなので、それなりに歴史的価値も高い。

なかなかシャレオツな兵舎。レンガの色が違うのは当時の技術では均一化できなかっただけらしい。

砲台跡

80年経てばそりゃ木も立派に育つよな。開戦時には大正生まれの40口径8cm高角砲だったんだけど

時代遅れで仰角も足りなかったことから、最終的には12.7センチ連想高角砲に置き換えられて、B29めがけてバンバン撃ってた。

艦船のプラモデルでは数ミリの部品なんだけど、12.7センチといえば一升瓶を撃つようなものだからそりゃでかいわな。

一部トンネルになっているのでおそらくここから弾薬庫へ続いていたんだろう。

ちなみに小さい穴は砲弾をおいておくところ。

終戦直後に米軍が撮った猿島の写真

しっかりと高角砲が写っている。

しばし登ると公園。なかなかの眺望。

そこにあるのが防空指揮所(見張り台)。

コロナ以前から立ち入り禁止になっているらしいが、おそらく老朽化のせいだろう。

昔はゲルショッカーの基地w

放送時小学6年生でスレていたこともあって、当時からブラック将軍の衣装はなんか違うと思ってた。

当時の丹羽又三郎も40近くになってこんなコスプレさせられると思ってなかっただろうな…。ちなみに氏は直後に役者業から離れて渡米していたせいもあってか、まもなく卒寿にもかかわらず、ブラック将軍黒歴史としていないところにカッコよさを感じる。

奥の円柱は柱じゃないんだけどなんだろう?ショッカーの作戦テーブルの台?

なんかウミガメみたいな模様になってるけど、単なる汚れ。

ざっくりと昔を懐かしんだ(世代としては初代だからちょっとずれてるけど)あと移動してほかの砲台跡へ。

こちらは昔の8センチ高角砲のあと。多分終戦時には25mm単相機銃か40mm連装機銃に置き換えられてたんじゃないかな。

 

もう一つのほうはコンクリートの状態がさらに悪くなっていた。

ほぼこれで目的を果たしたので、あとはゆっくりと順路に従って観光。

通称「愛のトンネル」を一人で歩む。

退かぬ、媚びぬ、カイリーミノーグ

ちょっと泣いていたかもしれん。

 

トンネル出口にて。無限ループかな?

一通り満喫したので管理棟で展示物など見ながら連絡船の到着待ち。見返してみたらいっていないところあったけど、見ていない砲台跡のほかは立ち入り禁止になっているらしいのでまあいいだろう。

当時のままの発電所。現在でもここで燃料燃やして電気を作っているらしい。

左に見切れているのはコスプレーヤのテントw

連絡船が来たので猿島とお別れ。

案内アナウンスをするスタッフさん

思わず二度見

マイクケースを風防にしてる!この発想はなかった。

そのまましまって潮風対策もばっちり。

ちょっと感動したわ。

さて連絡船を降りたら行かなくてはなるまい。

\ アッカーマン /

 

三笠といえば、あまりにもこの絵が有名すぎて、ほかのイメージがないんだけど、何気にここには来たことがなかったので楽しみだ。

まずは順路に従って甲板上部から見学

通信室

ガイシがあるということは、裸電線で電源?と思ったけど、アンテナだった。まあ確かに当時はガイシしかなかったんだろうなあ…。

副砲室

自分がなるとしたら下士官かな?「テーッ!」って言うだけでいいんだし…と思ったんだけど、自分で撃つほうが楽しそうかなw 大声張るのものも得意じゃないしw

でも確か日本海海戦では、敵艦鯛の鼻面を抑えるのと、副砲を使うために面舵でバルチック艦隊に回り込んだんだよな?だとすると左舷側の副砲では、全然砲撃が起きないから、荒波の中何十分間も下の二人はこの体勢ででじっと耐えてたってことか。パねぇ。

補助砲の7.62cm砲。

砲手が腰を入れて、拳銃のような引き金を引くスタイル。そういえば「銃爪」って漢字、世良公則以外で使うの見たことないな。

このあたりは今はなき日本元気劇場の戦艦三笠ミュージアムでもここは再現されていたな。

説明は間違えていたけどなw

そういや10年ほど閉園したままだけど、三笠は三笠はどうなってるのか、興味があると書いてみたり

さて横須賀の三笠に戻って、補助砲の横にあったスカッパ

スカッパ(Scupper)って本来甲板にたまった海水の排水のための機構じゃなかったっけ?残飯捨てるなんて環境保護団体がギャオンしそう。

艦橋構造物の下にある戦時操舵室。

白塗りの壁に金ぴかなのがかっこいい。でも実際にはもうちょっと構造物があったと思うんだけど、当時の写真とかなかったのかなあ…?

戦艦としては小さいとは言え、煙突やマストなどの構造物はそれなりに巨大。

探照灯兼信号灯

それなりの発電能力もあったってことだよな…。

最上甲板

伝声管って水抜きどうしてたんだろう…

主砲をこの角度から見下ろすのはかっこいいね。

この先のマンションの住人は緊張感ありそう。

まあ実際にはマンションを狙っているわけではなくて、艦首を皇居に向けているだけなんだけど。

その艦首の菊のご紋章、現在はレプリカのものがついているんだけど、もう少し小さくしたほうがよかったんじゃないかと思える無理やり感ェ…。

後部指揮所

近づいて小窓から写真撮ったら、期せずしてシネマスコープみたいになったw

さて上甲板から中甲板にもぐって見学続行。

うわー。記念メダルってなつい。

1053のお部屋

かなり小さく感じるけど、当時の日本人の慎重を考えると困難でも十分だったんだろうな。その中でも1053は小柄なほうだし。

こういうレトロな水周りにすごく魅かれる。

主砲部分の模型

さすがに400kgの砲弾を気合いだけで持てるはずもないので、船底の弾薬庫からエレベータで上げる方式。当時画期的だったのはこのエレベータと砲塔がリンクしていたこと。それまでの戦艦は回転が一致していなかったので、砲弾を装填するには砲塔を定位置までいったん戻さなくてはならず、連射時に無駄な時間がかかっていた。

なんやかんや当時のエゲレスは友好的で、ちゃんと戦艦を造ってくれていたので、間違いなく最新鋭の戦艦だった。まあそのあとやつらはちゃっかりドレッドノート建造するんだけどな。

なにより驚きは船底に魚雷発射管まであったこと。戦艦に魚雷って考えもしなかった。

しかし三笠を見ると、戦艦とは言わないまでも、第二次大戦の時の大型艦艇を一つくらいこの三笠のように保存して欲しかったな。終戦後のごたごたや価値観の変貌、物資不足などそんな状況じゃなかったのは仕方ないんだけどねー。

だいたいこの三笠だって大戦前に記念館として保存されていたにもかかわらず、終戦後はバラック作りのために木材は引っぺがされるわ、アメちゃんたちの娯楽施設として、キャバレートーゴー、その後に水族館までつくられてて、ひどい有り様だったのをアメリカ人やイギリス人のおかげでなんとか再びここまでの形にできたくらいだからなー。

キャバレー時代の三笠

それ以前に第二次大戦後、連合国気取りの露助が、日本海海戦の恨みで三笠は解体しろと圧力かけてきたのを突っぱねられたのもアメリカのおかげだったりする。

その時の露助の中将の名前がクズマってのがちょっと笑える。

さて猿山もそうだったけど三笠も急なアップダウンが多くて、さすがにぐったりしてきたので近くの公園で一休み。

近くを通る母子が心なしか急ぎ足になるカメラを抱えた不審者は、昼食をどこにしようか検索中。

よさげな店があったので、荷物を抱えながら移動。なんか酉の市?の日だったみたいで、屋台と人手で通りにくいたりゃありゃしない。なんとか店を見つけてログイン。

もちろん店の名前通り丸一頭出てきたら値段が千倍くらいになってしまうから、カットステーキランチを注文。某所のワイルとステーキとは大違いで肉々しくてそこそこ柔らかくて満足。

その後コインロッカに荷物を預けて、最後の目的地に向かうためバス停に並ぶ。

20分ほどバスに揺られて降りてから、Google Mapの案内で目的地を目指したんだけど、こいつって徒歩の場合とんでもない道を案内する病を発症することがあって、今回はそれにやられて登山道のような道を選ばれてしまう。約束の時間もあるので休むわけにもいかず、ただでさえ午前中に消耗した体力ゲージはほぼゼロになってしまいつつも、何とか目的地に到着。

目的地は以前日記に書いたこの本

この著者の杉山さんの個人博物館の「パチンコ誕生博物館」が今回の最終訪問地。

博物館とは言っても、杉山さんが持論を延々と語るタイプの展示なので、自由に見たり写真を撮ったりできる雰囲気でもなく、おとなしくお話を聞いたり、本を読んでの疑問点などを質問してあっという間にいい時間に。

帰りは駅までご好意で送っていただいて、今度こそ間違えずに京急

無事に品川について、疲れていたので直近ののぞみに乗ることに。

歩くのが面倒で指定席にしたんだけど、4号車って指定席の一番前じゃんね?なんで一人なのにこんなところになったのかなと考えて、思い出した。107号だから広島行きだから込んでるのか。番号のこと忘れてた。(次は200番台の257号だから新大阪行き)

ゆうても指定席だし、座ったところ2列シートはほとんど一人がけで、たまに空席もあるぐらいなのでまあいいやと思って、横に荷物を置いて弁当を広げていたところ、「あのーすみません、この席なんですけど」と大昔の小娘に言われた。

え?そんなことあるの?猿島で愛のトンネルを一人で泣いてたから、神様がマッチングしてくれたの?ときょどりながらも謝罪して荷物をまとめるが、明日からのダイエット期間に向けて駅弁2つ買ってきてしまったじゃねぇか!

隣にめっちゃ気を使いながら肩をすぼめて駅弁を平らげたあとは、パソコンを声掛けして棚から取り出すのも面倒で、じっとそのまま耐えていた。といっても1時間20分のことだけど。

sあ…そうか、広島行きだから名古屋行きの私の横にしておけば、隣の人はそのあとゆったりできるからこういう座席アレンジになったのか。

三河安城を過ぎたので、それでは邪魔なおっさんは降りますよと支度をしていたら、隣も降りる模様。

は?

マジでこのアレンジ訳がわからん。甲鉄城のカバネリのOPくらいわからん。

まあ最後の名鉄バスセンターでの待ち時間がほとんどない上に座れたのでよしとしよう。

あとから見てみたら、日ごろ全然歩かない私が1万歩以上歩いていたわ。