加賀キター

流石に気分が高揚します。

いわゆる一航戦の赤城と加賀は、当初三段飛行甲板で完成した。

上段が着艦用、中段が小型機発艦用、下段が大型機発艦用として、発着艦が同時にできるように考えられていたんだが、甲板に載っているへぼい飛行機(九○艦戦

と一三艦攻)ならまだしも、飛行機の進化により距離が足りなくなったので、6年で大幅改装となる。

またこの頃、煙突の位置も試行錯誤している状態で、赤城は海水を混ぜて海面方向に曲げた煙突だったんだけど、加賀は発着艦の妨げにならないようにと、煙突を艦尾まで導いている。このときの写真が朝日新聞の写真。

この巨大な煙突が右舷左舷両方に着いていた。赤城は右舷側だけだったので、右舷後方の窓が開けられず、居住性に問題が出たんだけど、加賀の場合は煙突が横にへばりついているので、窓を開けるどころか、煙突が通っているところの内部温度は40℃に達してしまったため、長期の航行ができないレベルになってしまう。しかもそこまでしたのに結局排煙が発着艦の邪魔になるというね。

そこで赤城より一足先に、大幅な改造を受け、1年後に一段全通式の空母として生まれ変わる。元々戦艦からの改造なので、速力は少し遅かったが、飛行甲板と格納庫は当時一番広い強力な空母として生まれ変わった。

あと一航戦の萌えポイントは、改装後も副砲(20cm単装砲)を両舷後方に5門ずつ、計10門備えていたこと。当初航空母艦はあくまで補助艦だったので、場合によっては敵艦と砲撃戦を行うこともあるだろうという発想。改装前の古鷹型重巡と同程度の火力を持っていたのは驚きだ。(実践では一度も使うことがなかったが…)

今回の写真でも写っているな。

その後日中戦争、太平洋戦争と各地を飛び回って、ミッドウェー海戦で沈没するのは周知の通り。これを機に同じくミッドウェー沖に沈んでいる、赤城・蒼龍・飛龍も見つかるといいな。

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