キャバレー

学校のイベントを2つ観光ホテルの宴会場でやるので、その下見に行ってきた。現地集合だったんだけど、いつまで経っても他の人が来ない。遅刻は私の役目なんだけどな(自慢)とか思いつつ、おかしいなと思って電話してみたら…

わたくし、観光ホテルと国際ホテルを間違えておりましたっ!(恥)

いや、漢字二文字頭に付いてるから似てるし、住所見ると中区錦なんだよね。それですっかり、あーあの(いわゆる)錦三丁目の近くのあのホテルだと思い込んでしまった模様。錦も栄も1丁目は伏見の交差点より名駅寄りのエリアなんだね(´・ω・`)

それでタクる距離でもないので全速力で走って(客観的に見たら早足程度だった模様)いる途中でふと足を止める。

おお、ここ太平洋だったところじゃん。

仕切り版の向こうには路面看板がまだあった。見切れているところは、Aコース4000円って書いてあるw

ここが何かっていうと、元グランドキャバレー。

キャバレーというと最近ではミュージカルが有名だけど、あれはアメリカの本来のキャバレーで、音楽・演劇・踊り・手品などなどを、「酒と食事を取りながら」見られる場所という意味。よって日本のように女性が給仕するシステムは基本的にない。

日本のキャバレーはいわゆる風俗営業なんだけど、女性が給仕する場所で、酒やショーを楽しんだり自分達で躍ったり出来る場所という感じ。

実はキャバレーは風営法第二条で「一号・キヤバレーその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客の接待をして客に飲食をさせる営業」と定められていて、踊るスペース確保したり、立ったときに全体が見通せるようイスの背を低めにするとか、照度を10ルクス以上にしないと、五号など扱いとなって、大規模店舗での営業許可が下りない。つまりエロいイメージがあるけど本来はおさわり程度の性的サービスすら排除した形態だったりするわけだな。

ということで名古屋のグランドキャバレーといえば、美人座と太平洋だったのだ。

「美人なんか一人もいないから、The 美人を逆にして“美人座”、太平洋はもっと酷いから、入ったら“大変よ”で太平洋って言うんだぜ!」と当時通っていた人々が言っていた。

…って話は今作った嘘なんだけど、100名を超えるホステス(これが正社員という昭和の良さ)とボーイ・料理人・バーテンの他に、ハコバンという楽団がいたわけだよ。小編成でピアノトリオ+サックス程度、大規模なのでビッグバンドジャズ形式の構成から適当に管楽器を間引いたような感じ。ハコバンがそのキャバレー専属で音楽を担当していた。楽器が起きっぱなしだから「運ばん」ではなく、箱(キャバレーの建物)付きのバンドだからハコバン。

1960年くらいまではミュージシャンが圧倒的売り市場だったから、ハコバンやっているだけで、ボストンバッグに1000円札を詰め込んで遊びに行くような生活が出来たんだが、(一万円札はまだない)さすがにキャバレー最全盛の1970年くらいは、サラリーマンよりは稼ぎがいい程度になっていた。それでも「演奏で生計を立てる」というのが簡単にできた時代があったって事。

残念ながら私の世代はぎりぎりかぶっていないので、学生時代希にトラ(エキストラ=代役)でドラムを叩きに行った程度。それでもあの昭和の熱気をちょっとだけ知っているので、太平洋のこの状態(美人座はもう既に建て替えられている)は、ちょっとしんみりしたってお話でした。

ちなみに泉ピン子は芸人としてキャバレー周りしていて、名古屋では美人座に出入りしていて、美人座の正面にあった国際ホテル(まさかの伏線w)に泊まる生活に憧れていたので、テレビで売れた後は、しばらく名古屋に来たときには必ず国際ホテルに泊まっていたらしい。

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