明治航空基地
吹奏楽部で有名な某高校にガイダンスに行ったんだが、その帰りにちょっと寄り道。
介護施設の駐車場みたいな所なんだけど、
その一角にある史跡
正体不明の構造物は実は燃料庫のあと
明治航空基地という昭和に作られた航空基地。当時この辺りが明治村という地名だったからこの名前になった。
作られはじめたのが戦局が悪化している昭和18年なんだけど、北・南地区合わせて6つの滑走路最大時で200機を超える大きな基地となった。
B29が襲来するようになってからは当初迎撃に向かっていたけれど、本土決戦に向けて期待を温存するようになり、だいたいが掩体壕から出ないようになっていた。その当時の名残がこの燃料保管庫。他にもいくつか史跡があるけど完全な形でみられるのはここだけ。ここにドラム缶を入れていた。
ここにいた第二一〇航空隊は、その後天一号作戦(大和の特攻の作戦)に参加、通常出撃を含め40名の戦死者を出している。
まあそんな史実があると、こんな間抜けな構造物からも訴えかけてくるものがあるわけで…