またですか…(溜息)

沖縄本島分割基地化、米軍が計画 終戦間際、本土侵攻へ備えか

 太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終結した直後、米軍が沖縄本島北部の本部半島に大規模な海兵隊基地の建設を計画していたことが13日、分かった。米陸・海軍による本島中部以南での基地計画は知られていたが、これに北部での海兵隊も加わり、日本本土への侵攻に備え、本島全体を分割して基地利用しようとした実態が浮き彫りになった。

 関東学院大林博史教授(現代史)が、米国立公文書館に所蔵された内部資料で確認した。

 日本が8月14日にポツダム宣言を受諾し太平洋戦争が終結したため、本島全体の基地計画も予算や人員の削減で事実上ストップした。

まずなんでこれがニュースになるのか分からない。戦争中に、明確に本土攻撃を目標として侵攻した沖縄に基地を作らないわけがない。しかも実際には実施されなかった計画だ。計画だけなら富士山を赤ペンキで塗りつぶすなんてのもあったぞ。(しかも承認されているが、物理的に断念。)

まあ極秘資料を発見した林博史って人、慰安婦ガーと主張し続ける人で、この人の新発見ってのはネットではお笑いネタになるような人。んで主張としてはこちらの別記事を読むと「もう少しで沖縄県民は殆どすべての土地を奪われるところだった、酷い。」って事が言いたいらしい。

左の図から住民の居住エリアをのぞくと、あまり深刻な違いを感じない。南部のエリアが中部に移動しただけ。また大規模な抵抗があった直後だから、日本人が一カ所に集められて監視下に置かれるのも当たり前の話。むしろ居住エリアは海沿いの住みやすいところで広範囲だから、収容所を作ろうとしてたわけでもなさそうだ。

もちろん専門家でもない私が、計画の全貌を知っているわけでもなく、計画を否定できるわけもない。でも今回の証拠とやらがこれ。

ネットではこの解像度しかなかったので、細かい文字は判別不能な部分が多い。全体ではなく一部分のようだけど、これで先ほどの地図の「今回判明した基地計画地」とやらの1/10も写っていない。で、太く強調してあるところは、既にあった本部飛行場の上下にすぎなで、左に見える瀬底島(周囲8キロ)の大きさから言ってもごく小さいエリアであることが分かる。

もちろん、他の資料に驚くべきほどの広範囲での基地計画が載っていたのかもしれないけど、少なくとも見えている部分はそれを証明していない。おそらく日付とTOP SECRETの文字を見せたかったのだろう。

TOP SECRETってのはwikiによると「情報の内容または情報の収集手段が一般公開されると国家安全に絶大な損害を与えるもの。最高機密扱いになる書類は少ない。」とあるから、もの凄く重要な情報のように思うけど、平時と違って戦争中の軍の計画なんてTOP SECRETにならない方がおかしいわけだよ。そしてそういう資料も30年経てば基本的にNARAで公開される。さらに1995年までにはほぼすべての公文書が公開されているから、JFKとかの資料とかと違って、この辺の普通の資料は遅くとも20年前には公開済みなわけだ。

公開後、日本の国立国会図書館職員が長期間出張して調査しているし、マイクロフィルムなども購入している。可能性はゼロではないけど、本人や在米スタッフがアクセスできるような所にある資料は、もう出尽くしているんだよ。

それにもかかわらず毎年夏前になると、国立公文書館から新発見が出てくるって凄いなあ(棒)

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