だんちがい

「まいかた」ちゃうで 枚方市が自虐読み方調査

もと住人だったから当然読める訳なんだけど、V6岡田がひらパーにいさんやってるから、もっと知名度があるんだと思ってた。

大阪府北東部に位置する枚方市は、大阪市京都市への通勤が便利なベッドタウンとして発展。だが、人口はピークだった2009年の約41万人から、昨年末までに8千人近く減少した。

京阪特急を使えば大阪の淀屋橋に行っても、京都の三条にいっても20分で着くから地域特性はその通りだけど、2009年までは人口増加傾向だったとは驚き。

枚方は元々軍需産業で発展をしてきた。禁野(きんや)火薬庫や陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所、東京第二陸軍造兵廠香里製造所などがあっって、民間では繊維系の日本メリヤス株式会社(現在の倉敷紡績)や蝶矢シャツ(現在のCHOYA、梅酒のほうではなくアパレルの方)があった土地。

戦後民間に払い下げられた用地は、禁野火薬庫が中宮団地に、枚方製造所が小松製作所(ブルドーザなどを作っている)に、香里製造所が香里団地となった。

団地が流行だったので、製造業の方も枚方工業団地ってのを作ったり、繊維系が多かった流れから、既製服団地ってのを作ったりしたんだが、たいした盛り上がりはなかったイメージ。既製服団地なんかは、一括して蒸気を供給するシステムがあったりしてそれなりに存在感はあったんだけど、まあアパレル製造は右肩下がりなのでゴニョゴニョ。あとさすがに今は既製服が死語になりつつあるので、大阪紳士服団地と名前を変えているけど、バス停は既製服団地のまま。

まあ京阪沿線民からみたら、工業団地は最果ての地、既製服団地はJR片町線沿いの別の町だったから、小学生の私には「キセーフク団地」という人が住む団地が遠くにあるんだろうなとしか思っていなかった記憶。

んでその団地だけど、当時最大級を誇った香里団地と中規模の中宮団地を抱えて、どこの団地でも起きている高齢化を考えれば逆にピーク時から0.8万人減少ならマシな方じゃないかと思うんだけどなあ…。資料はインターネッツでは見つけられなかったけど、合わせれば約8000戸あるはずなので、少子高齢化の昨今、一戸あたり一人いなくなっただけじゃんとか思っちゃう。

今では団地に住んでるのは老人か生活保護か外国人というイメージだけど、当時は(中流階級にとって)あこがれのライフスタイルだったわけで、8ミリビデオで個人撮影された1959年という団地のハシリの時代の動画。(東淀川団地らしい)

ダストシュートとか、洗い桶に洗剤入れて洗うスタイルとか、まだ独身部屋には洗濯機がなかったとか、エアコンないから部屋ではパンイチとか、周りはなにもないとか懐かしすぎます。

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