全開原理主義

今日はクラリネットの録音したんだけど、「ピアノ伴奏は蓋半開原理主義」の先生(そしてその影響を受けている学生)は何とかならんのかと思う。

ピアノの蓋を閉めたり半開にしたりすると、音量というより音質に影響が強く出る。目立ちやすい高域が少なくなるので結果音量が「下がる」わけだ。けれどそれって楽器に毛布かぶせているようなもので、もし蓋が全開でバランスが取れないようなら、作曲者がタコなんじゃないかと思うわけだよ。

もちろん、昔のピアノと今のピアノでは音質も音量も違うだろうから、古典派以前はその辺をさっ引いて考えなきゃいけないだろうけど、ロマン派以降は今のピアノが倍の音量ってワケじゃないんだから、歌曲なんかは殆どピアノ全開でバランスが取れるような「伴奏」になっているべきだと思うんだけどね。

まあ蓋を半開に出来るような構造になっている時点で、そういう要求があったって事だし、コンサートホールの響きなどを考慮して半開、更にその下(小開っていってるけど正しいのかなあ?)にするのは分かるので、蓋を閉めるのを否定しているわけじゃないんだ。

ただバランスが取れる前提で、ピアノの蓋全開を提案すると、

という対応はやめて欲しいw

.