懐かしい

あと2週間足らずで閉店するヤマハ渋谷店、よき時代の音楽があった場所を惜しむ人たちがコンサートを開催するということだ。

さよならヤマハ渋谷店コンサート

また渋谷店店長の計らいで渋谷店所蔵のアルバムが公開になっている。私の世代そのものでなんか泣けてくる。全ての画像、大きい画像はこちらで見てもらうとして、

昭和41年のオープン当日。おそらく「品5」ナンバーであろう乗用車や、今からは想像できないのどかな道玄坂。周りにビルが全然ない。2Fにはちんどん屋、電灯下にはめぬき帽の怪しい奴がw

左が試聴コーナーシャワーヘッドみたいなのが片耳のヘッドフォンで、大事なレコードに傷がつかないよう、操作は店員が行っていた。

テレビも売ってっます。「チャンネルを回す」時代。この頃のドン川上源一の息子、浩一がソニーにいたせいか、オーディオとかテレビとかにも間口を広げていた。ずっと後になるが、ヤマハブランドでテレビやビデオも作ることにもなる。そういやこの頃フィルム1枚で2枚写すハーフが主流だったなあ。

さらに5年ほど後。ポプコンポピュラーソングコンテスト)が成功しだした時代、ラジオ+フォークソングの黄金時代だった。コピーの「~なのです。」という文末が当時の若者言葉。

寄席もやっていたんだが、いずれにせよもの凄いメンバーだ。当時売れていなかったわけではなく、もう既に名が通っている人ばかり。封書が15円の時代だから100円というと今で言うと500円くらいか。めちゃくちゃ安いな。古今亭志ん朝観たかった。

そうなんです。封書が15円の時代、アーニーボールの弦は「1セット」1850円だったんです。ベース弦なんて1万超えが当たり前。だからヤマハの紙袋入りの弦がありがたかった訳で、ベース弦は古くなったら煮てた訳で…。

ヤングという言葉がナウだった時代。

誇らしげに陳列されたティアックの38/2トラオープンデッキとか、初代10モニとか、真ん中にはナカミチの高級カセットデッキとか… うわー買い占めたい。

エレクトーンも普及してきた時代。まだ主流はCとかDシリーズでした。

今では考えられない品揃え。さすがフォーク時代。モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!

手前で弾いているのとその上がミニムーグ、その下がマイクロムーグ、一番奥のYC-45Dは分かるとして、椅子に乗っかってるシンセの品番が出てこない!なんかH8とかそんな品番だった気が…シンセといいながら殆どエレクトーンの一段鍵盤みたいな奴…あああ気持ち悪い。 あとその間の棚にあるのもどこかで見たものばかりなんだが良く分からない。

追記:思い出した。SY-2だ。でもそれは真ん中の棚の一番上で、椅子に乗っているのはMiniKorg 700だな。

これだけファイヤーバード・サンダーバードが並ぶとありがたみがないが、考えてみればこの頃、ヤマハってギブソンの代理店やってたんだよな。

なぜかドラム4台。ドラム合戦でもやったんだろうか。上手2台がシングルヘッドタムというのも時代だけど、一番年代を感じさせるのがライドシンバル(その当時はトップシンバルという呼び方が一般的)のセット位置。高く垂直にが正義だった。

あと貸室のビラの右隣にはYESシステムのゾイレスピーカが見える。

練習スタジオ。この部屋はYD-7000だな。(タムホルダとタムミュートで判別できる)バスドラムは20インチが普通だった。手前は使い物にならなかったCP-20

当時のオバケエレクトーン。というかまんまシンセなんだけど。コレを元に名器CS-80が出来た。横のでかいのはトンキャビと呼ばれるエレクトーン専用のスピーカー。(ロータリーでも何でもない)大人4人でやっともてるような嫌がらせスピーカだったな。確かUSの専用ケーブルで繋ぐはず。

当時この制服、女性にかわいいと結構人気があった。

海外ドラムが(ちょっと大げさに)人気があった時代。ロックやるならラディック、ジャズやるならグレッチってのが正義。ロジャーズとかスリンガーランドとか懐かしいなー。ヘッドもまだピンストライプがない時代、エバンスがハイドローリックという油入りのヘッドを作ってたっけ。

 

長文スマソ